JAL516便・羽田空港着陸時に衝突火災事故~詳しい経緯と事故原因の可能性(交信記録など和訳)

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日航機・海保機の衝突炎上事故

2024年1月2日、東京・羽田空港で、日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機がC滑走路上で衝突し、海保の5人が死亡するなどした航空機事故。
お亡くなりになった海上保安庁の関係者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げる。
執筆時点でわかっている詳しい経緯と、事故原因の可能性関して追及してみる。
※新しい事実が分かり次第内容の修正や更新予定あり

日本航空516便 (JAL516、JL516)
新千歳(札幌・CTS)発 → 羽田(東京・HND) 行き
機材 エアバス A350-900 JAL JA13XJ (日本航空13号機)
羽田への着陸時間 17時47分

海上保安庁 羽田航空基地所属
JA722(MA722) ボンバルディア MA722みずなぎ1号 DCH-8-300
※ADS-Bトランスポンダーは未使用の模様
<注釈> ADS-Bとは、現在の位置と高度をリアルタイム送信するシステム
JA722Aは保安上の理由からLADD(FAAの非表示リスト)に掲載されている機体




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海保機MA722は東日本大震災の際に、仙台空港で被災したあと修理した機体
1月1日の能登半島沖地震を受けて物資輸送任務に就いていたようで、1月2日午前2時(深夜)に羽田空港に帰着。
その後、救援物資などを搭載し、再び羽田から新潟空港に向けて離陸する途中だった。

ただし、海保機の男性機長(39)の勤務としては、事故前日の1月1日、別の機体で1700km南にある沖ノ鳥島(東京都)周辺との間を約7時間飛行し、中国公船への対応に従事していた。
1日の10時頃出発し、17時頃に羽田空港へ帰着していた。
そして、翌2日の勤務にて事故となった。

滑走路で衝突時の詳細

JAL516便は羽田空港・C滑走路(34R)に約122ノット(時速226km)程度で着陸。
滑走路に後輪、そして前輪といつもどおり接地し、減速体制に入った直後と考えられる。
着陸時、海上保安庁の機体を日航のパイロットも視認できなかった。(天候は曇りで、なおかつ冬の日暮れとあたりは暗くなっていた。日没は16時39分で着陸は16時47分)
離陸しようと滑走路に進入した海上保安庁のJA722(MA722)が左側のC5からB滑走路に斜めに進入。
JA722機体の後方右側に、着陸して数秒であるJAL516の前方(ノーズ部分)が衝突し乗り上げ、旅客機の胴体下に入り混んだJA722は爆発した模様。
JAL516は、前輪の足(ノーズギア)を破損して滑走路を約1000m滑走。
前輪が折れ前傾し、前方だけ胴体着陸のような状況で自然減速にてそのまま直進し、やがて右にそれて芝生地帯で停止した。
A350はノーズセクションがアルミ合金になっている為、今回、胴体が破損することなく停止でき、機体内部への被害を最小限にした可能性がある。

管制とのやり取り詳細

国土交通省から発表された管制とのやり取り詳細と、Live ATC (エアバンド、 航空無線通信)からの音声記録と他の情報も含めて総合的に 時系列に掲載。
<注釈> Live ATC は、世界中の航空マニアが傍受した無線内容がサイトにアップされ公開されているもの。

羽田空港・北風運用 B滑走路に南側から着陸

16:45 海保MA722は格納庫を出て羽田空港を出発。
しかし、Uターンラッシュを迎える中で羽田空港の離発着混雑により、離陸待ちの時間が長かったようで、約1時間ほど、空港内で待機した模様。

※上記は2重確認したものの、元情報じたいの時間などが異なる可能性があるため、一時的に保留状態と致します。

17:43 12秒 JAL516便は管制に、滑走路番号34の右側に進入を続けますと報告。

17:44 56秒 管制が JL516 34Rへの着陸を許可する。
※JAL516便に着陸許可は降りていたことがわかる。

17:45 00秒 JAL516便が、了解こちらJAL516便と返答。

※海保機側が「タワー」の周波数に合わせたタイミングでは、上記までのやりとりを聞けていなかった可能性がある。

17:45 11秒 JA722A(海保機)より、タワー、JA722A C導路上です

HNDの地上管制は、JA722A 東京タワー こんばんは。
離陸は1番目です。
待機ポイント C5 までタクシー(移動)してください。

17:45 19秒 JA722A(海保機)より、滑走路停止位置C5に向かいます。1番目。ありがとう。
※一部情報で海保機が復唱(返答)していないとあるが、実際には返事していた模様。
※海保機の機長、副機長、整備士ら3人以上が管制官の指示を聞いていたはず。

17:45 40秒 出発したJAL179が管制に対して
東京タワー、JAL179 滑走路停止位置C1へ走行しています。

管制から、JAL179、東京タワー 3番目。
滑走路停止位置C1へ走行してください。と指示。

17:45 56秒 C滑走路へ次に着陸する JAL166 が管制に対して
東京タワー、JAL166 スポット21番です
と報告

東京タワー(管制)より
JAL166、東京タワー こんばんは。
2番目、滑走路34R進入を継続してください。
風320度8ノット。
出発機あり。(MA722の事)
160ノットに減速してください。

このように、海保機がJAL516が着陸したあと離陸し、その後、JAL166が着陸する予定だったことがわかる。

17:43 02秒 JAL516(衝突した日航機)より管制に報告
東京タワー、JAL516 スポット18番です。

管制より
JAL516、東京タワー こんばんは。
滑走路34Rに進入を継続してください。
風320度7ノット。
出発機があります。

17:43 12秒 
JAL516 滑走路34Rに進入を継続します。
と返答。

17:43 26秒 デルタ航空 DAL276(C滑走路からの出発2番目)から管制へ
東京タワー、DAL276 誘導路上Cにいます。停止位置に向かっています。

東京タワー(管制塔)より
DAL276、東京タワー こんばんは。滑走路停止位置C1へ走行してください。

DAL276(出発機2番目)より
滑走路停止位置 C1 DAL276。

17:44 56秒 
東京タワー(管制塔)より
JAL516 滑走路 34R 着陸支障なし。風310度8ノット。

17:45 01秒 
JAL516(衝突した日航機)より
滑走路 34R 着陸支障なし JAL516。

※念のため記載
17:45 27秒 管制が出発済みでこれからB滑走路より離陸する JAL131 (大阪行き)に対し、誘導路05に進入待機許可し、順番待ち待機を指示。

17:45 40秒 
JAL179(C滑走路の出発機3番目)より
東京タワー、JAL179 滑走路停止位置 C1へ走行しています。

東京タワー(管制塔)より
JAL179、東京タワー 3番目。滑走路停止位置 C1へ走行してください。

JAL179(出発機3番目)より
滑走路停止位置 C1 へ走行、離陸準備完了。

17:45 56秒 JAL166(到着機2番目)より
東京タワー、JAL166 スポット21番です。

東京タワー(管制塔)より
JAL166、東京タワー こんばんは。
2番目、滑走路 34R進入を継続してください。
風320度8ノット。
出発機あり。
160ノットに減速してください。

17:46 06秒 JAL166より返答
減速160ノット、滑走路34R 進入を継続。こんばんは。

17:46 50秒頃 JA772がB滑走路に停止し、離陸許可待ち状態になった模様。

17:47 23秒 東京タワー(管制)より
JAL166、最低進入速度に減速してください。

17:47 27秒 
JAL166は、3秒間無音状態。
※返答しようとした頃には、滑走路での爆発を目撃した模様

17:47 28秒頃 誘導路C5からC滑走路に出た箇所にて衝突
17:47 39秒 地上移動中のJAL131が、滑走路 34R で火の手が上がっていることを報告

時間不明 後続の着陸態勢に入っていたJAL166が管制に報告。
タワー JL516 滑走路34Rで火災です。

17:48 11秒 管制は次に着陸予定のJAL166に、ゴーアラウンド(着陸のやり直し・上昇)を指示。
JL166からゴーアラウンドしますと返答あり。(目前での火災を視認していたのか?泣いているような声で)

17:51 国土交通省航空局の空港消防が100km/hで走行できる空港用化学消防車(空港用10000リットル級化学消防車、排気量1万5240cc)を急行させ、衝突4分後から消火活動を開始

17:56 管制塔が東京消防庁に通報。

18:11 東京消防庁空港分署の消防車が消火を開始し、最終的に計115台が出動した。




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日航機と衝突の海保航空機長、総飛行時間は3641時間で機長歴は4年11カ月。
事故当時、C滑走路は2人の管制官が担当し、滑走路の担当管制官は32年目のベテラン、誘導路の担当管制官は17年目だった。

しかし、海上保安庁の機長は管制官から離陸の許可を得ていたと、海上保安庁は、滑走路に入る手前まで走行するよう指示を出していたと、双方の見解が食い違っている。

JAL516便のパイロットの証言は下記の通り。

A350は通常2名の運航乗務員で運航可能だが、516便ではOJTのため3名が乗務しており、着陸時に操縦桿を握っていたのはOJT中の副操縦士。
パイロットは海保機を視認できなかった。
パイロットのひとりは何かがすっと通るような違和感を覚え、直後に衝撃があったと話している。(衝突直前に一瞬、何か横切ったような違和感を覚えた)
<注釈> 着陸姿勢は機体が少し上向きになるため、相乗積からは余計に真下は見えない。(更に夜間と言う事)

MA722の機長の証言。

管制官から離陸許可が下りていたという認識だと述べている。
→ 管制指示の無線交信を聞き取れる他の乗組員にも確認した
機長は離陸許可を受けた。エンジン出力を上げようとしたところだった。
出力を上げた時に後ろから追突された。
事故後、機長は「滑走路上で機体が爆発した。自分は脱出した。他の乗員については不明」と基地に連絡。
いきなり(海保機の)後ろが燃えた。
衝突事故について「(何が起きたのか)分からない」
着陸機が来ることを知らなかった。

C滑走路担当の空港管制官らの証言。

C滑走路は3名で管制。
海保機を優先して離陸させようと考えていた。
海保機の進入に気付かなかった。
他の航空機の調整などがあり、海保機に滑走路手前までの走行指示を出した後の動きは意識していなかった。

着陸機が接近する滑走路に別の機体が進入した場合、管制官が使う表示装置の画面上で滑走路全体が黄色に点滅し、航空機が赤色で表示され注意喚起をする機能が管制塔に備えられていた。(滑走路占有監視支援機能)
ただし、常に見ているものではなく補助的なものであり、また事故当時実際に機能していたかはまだ不明。(管制官は衝突まで海保機が滑走路上にいることに気付いていなかった)
→ その後、機能しており、注意喚起表示もされていたが、管制官はその表示に気がついていなかったと判明。
<私見> 赤表示ではなく、大きな音(アラーム)が鳴るなど、警報のシステムにどうしてできないのか?疑問に感じる。

緊急対策として、国交省は、着陸機が接近中の滑走路に別の機体が進入した時、注意喚起をする管制塔内のモニターについて、これを常に監視する役割の管制官を新たに1名配置することを決定。
羽田空港の場合、ひとつの滑走路あたり3名体制は変わらず、サポート担当が監視支援モニターを常時担当となる模様。

奇跡の18分

窓から火花が見え、機内にガスや煙が充満。
日本航空によると事故直後、機内ではアナウンスシステムが作動しなかったため、CAとコクピットとの連絡も不通に。
客室乗務員の判断で脱出することにし、メガホンを使うなどして誘導。
脱出開始まで約9分ほど機内で待機していた模様だが、慌てて不用意に脱出口を開けず8つのドアのうち5つのドアを開けた。
特に最後尾の客室乗務員は機長らの指示を受け取れず、自身で状況を判断して脱出用シューターを展開した。
<注釈> 本来であれば非常ドアを開けるのは機長の指示が必要だが、CA判断でドア開けた。(CAは機長の指示がない場合の訓練も受けている)
そして、炎から離れていて避難に支障がない安全な3つ(前方のL1とR1、後方のL4の計3つのドア)の脱出口(脱出用スライド)から脱出した。
脱出開始まで、事故から約6分~7分経過していた模様。
乗客は手荷物を全て残したまま避難を開始した。(一部の人が手荷物を取ろうとしたが、CAや他の乗客が止めたと言う)
機長らは機体が止まった時点では火災の発生に気付いていなかったが、操縦室のドアが「何らかの理由」で開いていたため、CAからの報告で把握。
機長は口頭でCAに脱出を指示。
エンジンを止めた後、コクピットからの持ち出し物などチェックリストを確認後、機長らが操縦室から客室に出た時点では脱出が始まっていたと言う。
滑走路上は想像以上に暗く、その中で乗務員は「10名ずつまとまってください、10名になったらしゃがんでください」と散り散りになった乗客に声をかけていた。
最後に機長が機内に残っている乗客がいないか、後方に向って確認し、数名の乗客を前方のドアに誘導。
見回りした機長らはCAといっしょにL4から脱出。
乗客・乗員379人全員が脱出に成功した。(ほぼ満席の乗客367人(うち乳児8人)、運航乗務員3人、客室乗務員9人)
事故から18分で全員脱出が完了。
炎に包まれた旅客機の搭乗者全員が助かったことに、日本航空乗務員や乗客の対応力が世界で称賛されている。
最新鋭旅客機の安全基準と、JALの徹底した安全意識の賜物だろう。
小生も旅客機に乗る際には日本航空を選ぶ理由のひとつだ。

18:05 事故から18分後、367人乗員12人の全員脱出が完了。
14名が脱出時の打撲や体調不良で医療機関に搬送された。

滑走路に避難したJALの乗客らは、付近にいたANAのグランドハンドリング(グラハン)のスタッフ約10人の支援も受けたようだ。
貨物を運んだり、機体を誘導する地上業務のANA係員が駆け付け、乗客のケアに努めた。
乗客の何名かが「トイレに行きたい」と話すと、全日空の整備士に連絡。
近くにANAの小型機が駐機していたため、整備士の誘導で乗客数人がANAの機内トイレを利用した。(ボーディングブリッジ(搭乗橋)がついていたので、整備士が乗り込み、飛行機の電源を入れたと言う)

事故から約50分後の18時30分頃、機体への放水をいったん終えた消防車の後ろについて滑走路を横断するなどし移動開始。
19時頃、ターミナルビルの出発ロビーに到着したと言う。
ただし、他の乗客は消防車のうしろについて歩いたあと、機体から離れた場所で待機の時間が約1時間続いたと言うので、約370名と大人数の為、対応はグループによって時間差になった模様。
外に出て1時間以上が経過していた乗客には、18時56分にバスが到着し、バスに乗り込んだ。
バスの車内で人数確認などがおこなわれ、そのまま待機。
19時17分にバス出発しターミナルへ。
ターミナル付近でまた30分以上待機。
トイレに行きたい子どもなど、緊急の人だけが先に降車してトイレへ。

19時45分、ひとりひとりに配られた番号札を持って84~91ゲートロビーの中へ入った。
ナンバーカードを渡され首からさげるよう案内されている。
ただし、ターミナル内は大混で、しばらくすると日航社員から住所や氏名などを書く連絡用の紙が配られ、記入して待機した。

その後、羽田空港内のバックヤードを通行して、6階のギャラクシーホールに移動。
クリームパンやおにぎり、水、ソフトドリンク、毛布などが提供された。
暖をとるフリース、携帯充電用のテーブルタップが用意されていた。
また、医者が乗客に具合を聞いて回り、通訳の方もいたようだ。

全員集まったところでアナウンスがあり「空港外へ出るのを希望される人(自宅等へ帰ることが可能な人)はこちらへ」と出口を案内される。

合わせて荷物に関しても「後日郵送する」とアナウンスで案内があったが、目の前で焼け落ちるのを見ている乗客は「そんなわけない」という雰囲気が広がる。
おそらくマニュアルどおりの説明をしたのであろう。

早い人は21時すぎ、概ね22時すぎくらいまでに、帰宅組が順に帰り始めた。
出口でナンパ―プレートを返し、帰りの交通費の清算用紙をもらう。
列に並び、手続きを終えたのは22時25分と言う証言もある。

これら、事故発生から約5時間で帰路へつけたことを考えると、スタッフ皆さんの努力の賜物だと証言している。

翌日JALの担当デスクから電話があり、お詫び、困っている事の聞き取り、今後の連絡先、荷物が焼失した事実、一律お見舞金の説明、病院等にかかった場合の治療費の負担等の丁寧な説明があった。

一方、海上保安庁によると、海保機は能登半島地震への対応のため物資を運ぶ途中で、乗っていた6人のうち、副機長の田原信幸さん(41)ら5人の死亡が確認された。
なお、機体の炎上に伴い、東京消防庁の消防車など115台が消火活動にあたり、およそ6時間20分後の1月3日午前0時10分ごろ、火は消し止められた。

海保の機長は全身やけどの重傷などで救急搬送され集中治療室に。
海保機の副機長ら5名の尊い命が奪われた。
心よりお悔やみを申し上げたい。




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エアバスA350型機が関係する大事故は、今回が初めて。

お亡くなりになられた海上保安庁5名のお名前は下記の通り。

副機長・田原信幸さん(41)
通信士・石田貴紀さん(27)
探索レーダー士・帯刀航さん(39)
整備士・宇野誠人さん(47)
整備員・加藤重亮さん(56)

死亡した5人の海保職員は、司法解剖を行った結果、全員の死因は「全身挫滅」との事。
<注釈> 全身挫滅(ざめつ)とは、頭部はもとより身体のほとんどの部分を完全に潰された状態での即死との意味。
石田さんは2023年に入籍したばかりだった。

滑走路への誤進入は大事故ににるケースが多い。
そのため、アメリカなど空港が大きいところでは「信号機」のようなものを導入したりしている。
ただし、羽田空港でも1998年に導入されたストップバーライト(停止線灯)があった。
誤進入を防止する目的で滑走路手前に設置されている「ストップバーライト(停止線灯)」だが、事故当時は2023年4月からメンテナンス中で運用を停止していたと言う。
しかし、運用していた場合でも、見通しの悪さや管制官の判断で使用するかどうかを決めているとし「事故当時は使用する条件にあてはまらなかった」としている。

離着陸時に座席の背もたれを戻さないといけない理由は、席を倒してるせいで後ろの人が脱出できない可能性があるため。

日本航空から乗客への補償だが、航空会社は非公開としている。
ただし、SNSなどの投稿を見ると、下記の通り。

事故後、宿泊希望した乗客にはホテルが用意された。
後日支給の見舞い金がひとり10万円。
手荷物は全損につき10万円の補償金。
領収書があれば羽田空港から帰りの交通費も請求可能。

荷物として預けられていたペットは2件あり、全焼したとの事。

JALの他の便の乗客で、事故によ航空機が羽田に着陸できず、出発地に戻ったあと欠航となった乗客が、代替の交通機関を利用する場合は、最大1万5000円が日本航空から支給される模様。

今回、JALの乗客・乗員が全員助かったのは、なんと言っても大変な衝突事故で、A350の胴体が破損せずに停止できたことに尽きると言えよう。