小学生の修学旅行「瀬戸内海」沈没事故(2020年11月)の原因と全員救助の考察

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2020年11月19日16時40分ごろ、瀬戸内海の坂出市沖合、与島の北側の海上にて瀬戸内海クルーズしていた修学旅行生が乗船した船が沈没する事故がありました。
坂出市立川津小学校の修学旅行の生徒が乗船しており、15時に高松港を出港し、瀬戸内海をクルージングして、17時に坂出港に到着する予定でした。
瀬戸大橋を海から望む、臨時船(チャーター船)での観光ですね。
沈没したのは報道によると高松海上タクシー所有の小型船「Shrimp of Art」(19トン)との事です。

まだ、限られた情報しか公開・発表されていませんが、小型船舶操縦士1級を所有している小生の目線から、事故原因などを考察してみます。

<追伸> 11月20日夕方、業務上過失往来危険の疑いで、船長・多田陽介容疑者が逮捕されました。
どこぞの上級国民さまは、複数の死者まで出したのに、逮捕すらされませんでしたが・・。
(注釈)船長は21日に釈放され、以後は任意での取り調べに。




事故原因ですが、現場が、瀬戸大橋がかかる、与島の北側を航行中だった時と言うのが気になります。
船長は「漂流物と衝突した」と、救助要請を行ったようですが、本当に漂流物と衝突したのでしょうか?
最近は台風などもありませんでしたし、漂流物とぶつかったのであれば、船に刺さってしまったのかも知れませんが、救助に駆け付けた船などから、危険物が流れていたとの目撃証言は無いようです。
与島の北側は漁場、すなわち「岩礁」が多い海底でして、オソワイ、コソワイという岩礁が、岩黒島との間にあります。
通常、瀬戸内海を航行する貨物船などの船舶は、与島の南側を抜けます。
与島の北側を航行する場合には、櫃石島の北側を通ります。
ただし、今回の海上タクシー会社の船舶は、19トンの小型船です。
総トン数20トン未満の場合、日本の法律では小型船舶に区分されます。
よって、与島の北側を航行することじたいは、船長の判断でして、通っていけないと言う事ではありません。
漁船も航行したり、漁を行いますので、今回、近くにいて、すぐ救助に駆け付けることができていたと言う事です。
白川豊浩校長先生は「船底にドンという衝撃音があった」と証言されておられます。
もちろん、漂流物が、どこに当たったのか?などは、船を引き上げてみないとわかりませんので、なんとも言えませんが・・。

今回、救助されたのは、11歳~12歳と考えられる小学6年生が52人、大人は校長先生・教員が5名 バスガイド2名、45歳の船長1名、乗組員2名の合計62名です。
※大人の内訳は推定でして、確定ではありませんが、合計人数は正しいです。
全員が命には別条ないのは、本当に、本当によかったと存じます。

下記はTwitterにあった情報を、公式な方法で共有表示したものです。

沈没した「Shrimp of Art」の定員が発表されていないのですが、19トンの船舶ですと、だいたい40名~60名くらいが定員です。
ただし、11歳までは、大人の0.5人で計算されますが、12歳は大人1です。
推測としては、定員オーバーは無かったと思われますが、定員に関しては、今後、検証されるものと存じます。
また、報道をみる限り、法定で定められている救命胴衣(ライフジャケット)の数も、全員分はあったものと考えられます。
もし定員が50名などで、足りない場合には、出航前に、追加分を船に積んでおく必要がありますが、それも、しっかり対応された可能性があります。
しかし、ほぼ定員の重量であったため、船の喫水も、ある程度、沈んでいた可能性はあるでしょうから、操縦していた船長さんは、だいぶ沈んでいるなと言う感覚はあったものと存じます。

事故があった11月19日当日の干潮時間は20時29分でして、比較的、海面も下がっていたと推測されます。
<追伸>満潮の2時間後であったと、その後、報道がありましたので、私が潮見表を見間違えたようです。上記は訂正してお詫び申し上げます。満潮時には隠れる岩場が2箇所、現場付近にはあると漁船の方の証言があるようです。

私も、浅瀬や陸地に近いところを航行する際には、海面の下に隠れていて、見えない岩礁や、海底が、どこにあるか?、わからないので、結構、ヒヤヒヤで航行することがあります。
例えば、東京湾でも、木更津沖では「海苔養殖」の網など、ほんと、わかりにくいですので、前方の見張りは、慎重に行う必要があります。
魚群探知機(ソナー)があれば、現在地の水深がある程度わかりますので、浅くなってきたら、船を転舵させることもできます。
しかし、そのまま進んだ場合、その先の水深が急に浅くなるかまでは、事前に海図でも手に入れていないと、わかりません。
その海図も大まかですので、細かいところまでは不明といった場合もあります。
ただし、毎日、航行しているようなところであれば、操船者の経験が積まれ、安全度が増します。
しかし、今回のチャーター船のように、定期航路ではない場合、ある程度航行したことがあったとしても、不十分な場合がありますのでね。
今回の船長さんが、どれだけ現場を航行した経験があったのか?、わかりませんので、憶測での話になってしまいますが・・。
何と衝突したのかと、定員に関しては、海上保安部の捜査や、運輸安全委員会による調査が行われ、海難審判などで今後わかってくるものと存じます。

<追記>その後の取り調べで船長は「初めて航行したコースで事故を起こした」と証言しているとの事。

<追伸> 事故翌日の捜査で、高松海上保安部のダイバーが、海中の岩に、何かが当たったような跡を発見したとの報道がありました。
衝突地点は、与島ではなく、その北にある小さな島「羽佐島」の北方との追加発表もありました。
沈没船の潜水調査では、船の底に、岩との衝突で生じたような穴も確認できたとの事です。
また、岩に付いていた塗料と、船の塗料が一致したともあります。
海図などで事前に、岩場の存在などを十分に確認せずに船を航行し、船を岩礁に衝突させた疑いがもたれているとの事ですので、当方が予想したとおりになっている模様です。
沈没した船は、事故時の通報場所から、南東約2キロの海中にあると言います。

<追伸> 旅客船の定員も判明しました。定員は77名とのことで、定員オーバーなどの可能性はなくなりました。




事故当時の海水温は19度の平年並みで、波も穏やかだったとの事です。
ただし、海水温としては、ギリギリですね。
17度より下だと、低体温、そして、心臓麻痺になる可能性が出てきます。
タイタニック号の沈没では3度でしたので、海面で浮いていても、寒さで、血液の温度が下がり、心臓麻痺にて、5分も生きられず、たくさんの人が命を落とした訳です。

最後まで約10名が、船の屋根に残っていたとされますが、これは、低体温を避けるため、ギリギリまで残っていたと考えると大正解とも言えます。
ちょうど、この日は、気象統計開始以来最も遅い夏日と、季節外れの暖かさも幸いしたと存じます。
<追伸> 力を合わせて、子供たちを、天井に上げて救助を待っていたとの事です。

大きな船の場合、沈没時に、海中に引き込まれてしまう恐れがありますので、早く、船から遠くに離れたほうが良いです。
しかし、もともと瀬戸内海は水深10m~30mと浅いところが多いですので、小型船舶の場合、救命胴衣をしっかり着ていれば、大丈夫な可能性の方が高いです。

しかし、11月で早く日が暮れるため、薄暗くなった夕方に、すぐ救命胴衣を着用したとは言え、水温19度のなか、事故から約70分と、素早く、全員が無事に救助されたことは、本当に不幸中の幸いです。
事故後、すぐに118番通報もされたようですし、事故になったとは言え、全員の命を守れたのは、事故が発生したあとの船長の判断・行動としては評価できるところです。
とは言え、事故を起こしたのは、船長の責任ですので、免れることはできません。

ちなみに、小型船舶の場合、免許を持っている船長が指示を出しながらで責任を持てば、操縦・操船するのは、誰でも良いと言う事になっております。(航路など混雑海域以外は)
<注釈> 今回の事故は船長が自ら操船していた模様ですが、船舶の事故は操船していた人よりも、法律上、指示を出すべき船長の過失が大きくなります。

ただ、今回の事故の場合、サンセット・クルーズなど夜間だったら、周りの漁船も帰っていたりしますので、考えるだけでも恐ろしいです。
私も、今後、船に乗る場合、定期船以外は、リスクがあると、良い教訓となりました。

ちなみに、修学旅行は1泊2日の最終日で、坂出港に到着したら、あとはバスで小学校に戻るだけだったようです。

いつも申し上げておりますが、船に乗船して席に着いたら、最初に「救命胴衣」が保管されている場所を確認しましょう。
今回は、沈没するのにゆっくりと時間があったので、よかったのですが、そんなに時間がない場合もあります。

<追伸>その後、完全に姿が見えなくなった沈没としては、約50分だったと発表がありました。
今後、海底の船を、引き揚げる方針との事です。
いや~、岩礁に衝突でしたら、転覆しなくて、ほんとよかったと存じます。
投げ出されていたら、大惨事になるところでした。
海の神様「金毘羅さん」の御利益があったのかも知れませんね。




<追記> その後、捜査が進み、新たな事が分かってきました。
沈没した船は、2020年12月8日に引き上げられて、多度津港に運ばれました。
船長の供述によると「予定から5分ほど遅れていた」と言う事で、いつもは岩黒島寄りの幅の広い橋脚間(420m)を通るところ、近道をしようとして、これまでに通ったことがない、手前の羽佐島寄りの橋脚間(185m)に向かい「暗礁になっていた岩にぶつかった」と話しているようです。
なお、事故から沈没までの時間が、報道により、あいまいでしたが、約20分後に沈没との事です。

いずれにせよ、72歳のバスガイドさんは、海水を飲んだり、低体温で入院となったようです。
心よりお見舞いを申し上げる次第です。
みんな、本当に怖かったと思います。
しかし、本当に全員無事でよかった。
涙が出て来る思いです。(^-^)